突然逮捕されることになり、警察と刑務所に拘留された2ヶ月間はとても辛い毎日でした。そして、ようやく帰国できることになった時は、「この辛い日々から抜け出せる!」と、本当に嬉しく感じました。
毎日部屋からは出ることができて、やらなければならないこともない。限られた範囲の中ではありますが、ある程度の自由がありました。でも、刑務所の中というのは、そこにいた人でなければわからない、なんとも言えない不自由さや圧迫感といったストレスがあります。
「遂にそこから出て日本に帰れる!」そう決まったときは、心の底から喜びを感じました。「もしかしたら、何年もここにいなくてはならないかもしれない」という不安から、本当に解放されたることができたのです。でも、その時は分かりませんでしたが、本当に辛い体験は、刑務所の中ではなく、帰国してから待っていたのです。
日本で待っていたもの
バリのホテルは私一人の力でオープンできたものではありませんでした。私のビジョンに賛同してくれて、その私の夢の達成のために、それぞれの想いとともに出資をしてくれた数十名の人達がいたからこそ、現実になったのです。
でも、そんな人達の思いとお金は、ホテルの権利を奪われた今、全て失われてしまいました。
私は、私を信頼してくれた人達に対する責任として、一人ひとりにお詫びをし、そして、これからの対応をどうするか考えなくてはなりません。バリにいた時は事件を画策したのはホテルのパートナーで、いわば彼が加害者で私が被害者という立場でした。
しかし日本では全く反対で、私の方が出資してくれた人達に迷惑をかけてしまった立場です。出資をしてもらった以上、私はその資金をきちんと運用する責任があり、どのような経緯であったにせよ、それらを失った責任は取らなくてはなりません。
出資してくれたのは50余名の人達。帰国する前から、その人達全員とにかく心からお詫びをしようと決めていました。日本で待っていたものは、その全員に、直接会ってお詫びをするということで、それは本当に辛いことでした。
人生で一番辛い日々
ほんの2ヶ月前まで、バリにはたくさんの人達の想いによって現実となった素晴らしいホテルがありました。今でもホテルはそこにあり、建物こそなくなってはいませんが、それは既に私達のものではありません。想いの結晶だったホテルは消え、それに加えて大きな負債を抱えてしまったのです。
総額、約一億円。
どのようにしたらそれが返せるのか、想像もつかない大きな金額です。私自身、手持ちの資金は全てヴィラに出資していたので、返済に充てられる資金はゼロでした。
日本の弁護士に相談をした時には「個人でそれだけの返済をするのは無理だ」と、何度も自己破産を勧められました。確かに、全財産も仕事も失ってしまった私が返済するには、あまりにも大き過ぎる金額です。無理だと言われるのは当然かもしれません。
でも、私はその提案は断りました。それをやってしまっては、「私を応援してくれた人を裏切ることになる」と思ったからです。
ホテルの利益から数年で返済するという当初の計画からは大幅に遅れてしまいますが、どれだけ時間がかかっても必ず全額返済しよう。それが私にできる精一杯のお詫びだと思ったのです。その時は具体的な返済方法は何も決まっていませんでしたが、まずは一人一人の出資者に直接お会いしながら、心からお詫びの気持ちを伝えることにしました。
まず最初に、全ての出資者に電話をかけ、バリで起きたことを説明しました。そしてお詫びをし、これからのことを相談させてもらうため、直接会ってもらえるようにお願いしました。
私は、自分自身のビジョンに対して大勢の人達から出資をしてもらい、そして全てを失いました。私自身が騙されたとはいえ、全員「私に対して」出資を決断してくれたのですから、彼らにとって、ミスを犯したのは誰でもない私自身です。なんと言われようと、その事実から逃れることはできません。
ひとり、またひとりと電話を掛け、とりあえず事件のいきさつを説明しアポイントを取りましたが、繰り返し電話をしていく中で、自分は本当に大変なことをやってしまったんだということに直面し、「これからどうなるのだろう」「どうすれば良いのだろう」という不安な気持ちがどんどん大きくなっていきました。
バリでの2ヶ月間は非常に辛い日々でした。でも、帰国してからの日々は、それよりも遙かに辛く感じられました。そして、全てはまだ始まったばかりだったのです。