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024:ブノアへ – 自由のない毎日のはじまり

in the wall

デンパサールの警察でやることは取り調べです。でも、もともと身に覚えのないことなのでこちらからは「ドラッグなんてやったこともない」と言うこと以外に話すこともなく、また、細かいことは全て弁護士がやってくれたこともあり、数日でやるべきことはほとんど終わってしまいました。

そしてダディットに出会った翌日の午後、最後の取り調べが終わった後にここを離れてブノアという地区にある小さな警察署に移ることになりました。

ブノアの警察はデンパサールの警察署とは違い、常時数名の警察官が常駐しているちょっと大きな交番という感じの場所でした。ここでも私の居場所は鉄格子の中です。留置場は2ヶ所あり両方とも空いていたためどちらか好きな方を選べることになりました。

最初に見せてもらった部屋は建物の中央部分にあり、広い点は良いのですが四方を壁に囲まれていて窓がなく閉塞感がありました。そこで、狭いながらも窓のあるもう一方の部屋を選びました。広さは3畳程で隣に小さなトイレがあるだけ。弁護士事務所に用意してもらったマットレスを敷き、ミネラルウォーターのタンクを置くとほぼそれでいっぱいで、空いたところに着替えなどの荷物を置くのがやっとでした。

不安な状況の中で環境が変わるということは、さらに不安な気持ちを増幅させます。場所が変わったこともそうですが、担当の警察官数名としか関わらなかったデンパサールの警察とは異なり、ここには全部で十数名の警官がいて、全員と関わらなければなりません。

移送される際は弁護士が同行してくれましたが、彼らが帰ってしまった後に大勢の見知らぬ警官に囲まれると、不安な気持ちが大きくなり、それも大きなストレスとなりました。

やさしく接してくれた警察官たち

警官の中にはインドネシア語しか話せない人もいましたが、英語ができる警官が何人もいて、その中の一人が「おまえは悪い人間に見えないが、どうしてここにきたんだ?」と尋ねてきました。私はヴィラの話から始まってここに来るまでの経緯を一通り話すと、「そのバリ人はとんでもないヤツだ」という話になり、彼が英語が出来ない別の警官に通訳して伝えると、彼らも賛同してくれて、

「ヴィラが取り戻せるようにがんばれ」
「早く日本に帰れるといいな」

などと声をかけてくれました。まだまだ不安な気持ちはありましたが、彼らが私のことを理解してくれたような気がして、ほんの少しだけ心が安らぎました。

ブノアに移って来て良かったことのひとつは、毎日留置場の入り口の鍵を開けてくれて外に出られたことです。毎朝、日勤の警察官が来ると「警察の敷地から外には出ない」という条件で、部屋からの出入りを自由にしてくれたのです。部屋が狭かったということもありますが、広さがどうであれ「外から鍵をかけられた部屋に一日中閉じ込められる」というのは、想像以上に辛いことです。夕方になると部屋に戻されて再び鍵がかけられますが、昼の間だけでも外に出られたのは本当にありがたいことでした。もしもあの狭い部屋の鍵がいつもかけられたままだったら、あっという間に精神的に参ってしまっていたことでしょう。

この警察署の署長はとても優しい人で、私が捕まった事情が分かるととても同情し、心配してくれて、少しでも気持ちが休まるようにといろいろな面で優遇してくれたのです。

例えば、日中自分が出かける時には署の中で唯一冷房がある自分の部屋で過ごす事を許可してくれたり、所長室のシャワールーム(といっても、インドネシアではシャワーの習慣はなくマンディと呼ばれる水浴びをします)を自由に使わせてくれたり・・・。これからどうなってしまうのか、とにかく不安ばかりの毎日の中ではこういったことが本当にありがたく、気持ちが休まりました。

自分はなぜここにいるんだろう?

ここでは特に取り調べもなく、やることといえば時々弁護士と打ち合わせをする程度です。外に出ることはできず、特にやることもない。何もしていない時間がほとんどです。部屋から出て警察署の敷地内でボーッとしていると、一瞬なぜ自分がそこにいるのか分からなくなることがありました。

これは現実ではなく夢じゃないのか?

そんな風に思う事が何度もありました。ブノアは空港が近いため、時々離着陸をする飛行機が目に入るのですが、それを見る度に「ここから一歩踏み出してあれに乗ったら日本に帰れるのに・・・」という思いがふっと浮かんでくるのでした。

これから先どうなるのか。いつになったら日本に帰れるのか。その時はまだ裁判すら始まっておらず、何ひとつ確かなことがない。そんな状態でした。

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